本作戦の前後列国軍民との交渉の大要


 上海上陸以来の作戦我軍は常時爾後の作戦に伴ひ一般居留民に予告を与へ、戦禍を避くへきことを警告すると共に、我外交官憲をして屡次(HP作者注・「るじ」)在上海列国軍官憲に懇切なる予告と警告を与へ、更に協力的治安の維持に努めたり。
 特に英国艦隊司令長官リットル大将及同陸軍司令官スモーレット少将との間には、予自ら十一月十日及十七日両日に亘り親く会見して彼我の意志疎通を図り、作戦間英軍及其官民に与へたる不幸の出来事に就き遺憾の意を表せるの外、十一月二十四日及十二月二十五日の両回仏国大使及仏国海軍司令長官と会見し仏国租界及南市に関する諸問題に付意見を交換して彼我の諒解を遂けたるのみならず、さきに南市に於ける居留民保護に尽力せる牧師「ジャキノウ」氏の行動に対し厚く感謝の意を表し金若干を寄附して其運動を協助せり。
 米国海軍司令官ヤーネル提督に対しては十二月二十四日及二十五日の会見の両回に亘り親しく会見して「パネー」事件に関し遺憾の意を表すると共に、本作戦に関する予の苦衷を左の如く開陳せり。曰く

 予は固とより上海附近に於ける日本居留民の生命財産保護の任を享け渡来し、悪戦苦闘の上我軍の将兵二万有余を失へる外、上海附近に在る邦人の諸工場等の多くは少からす被害を免る能はさるしか、英米其他列国のものに対しては個人的零細なる被害を別とし、大工場、大建築等は全く其戦禍より免れしむるを得たり。
 是れ作戦の終始予か部下諸部隊に厳命し、我作戦上の不利を忍ひて列国に戦禍を及ほさる様取計ひたる結果にして今更乍ら予は邦人保護を外にして、列国利権の擁護に全力を致したるの結果に陥り、我朝野に対し深く相済まさる義なりと苦悶しつつあり。云々

 右に対し「ヤーネル」提督は能く予の意中を解したる如く、又前に英国リットル提督にも同様の義を申述へたるも彼は充分之を理解し英国政府に対し予の苦衷を伝達すへしこと約したり。
 斯くして予は上記の屡次の英米両国海軍長官との間に十分の意志の疎通を逐けたるのみならす、今後両国政府の態度如何なるへきもの吾等軍事当事者は、上海地方は勿論汎く太平洋の平和に関し協力的態度を執るへき旨を誓ひたる次第なり。
 右の外予は機会を捉へて在上海列国新聞通信員との連絡を図つつつありしか、十月十日倫敦タイムス通信員「フレザー」氏及紐育タイムス通信員「アベント」を軍司令部に招き懇談の機会を与へ、先つ予自ら左の要旨の談話をなせり。曰く

 予は三十余年来日支提携の事に微力を尽し来りたるものにて、其多年の信念に鑑み、今に於ても支那を膺懲すると云うよりも如何にして四億民衆を救済すへきかと云ふ考に充たされあり。
 支那は今共産主義勢力より之を救済すへきこと云ふ考に充たされあり。
 支那は今共産主義勢力より之を救脱すへきこと緊急にして、是れ支那自身の為のみならす東亜全般の為真に喫急の事項なり。
 於此予は日本固有の国民精神と東洋伝来の道徳の根基に立ち、日本人得意の犠牲的行動を発揮し東亜百年の平和に貢献せんことを冀ひつつあり。
 願くは欧米諸国の官民か我等の此信念を信倚し暫く日本の為す所を静観せんことを望む。

 尚両氏の質問に答へて曰く
 上海地方に於ける此種の事件は最早再ひ之を繰返ささる様此度こそ完全に善処すること必要なりと考へ、殊に上海の特殊地位に鑑み予は出発前より列国の協力により之を遂行せんことを期しありしか、其後内外一般の状勢及現地の状況を体験し、聊か従来の希望を失いたるの感あり、即列国ヵ一九三二年の停戦協定を支那に遵守せしむるこの義務を執らさりしのみならす其後本事件に関する態度か列国協力の上に自信を失はしめたるを遺憾とす。
 云々之に対し「フレザー」氏は敢て之を論弁せす、如何にせは其協力を遂け得へしや、反論せるにより予は
 上海地方米国官民の態度は特に今日迄指摘すへきほどのものなきも、最近米国に於ける大統領の演説の内容に就ては不満足のものなり。

 と答えたり。
 尚十一月三十日再ひ右両通信員と会見し、上海占領後に於ける我軍の態度方針を説明し上海附近に於ける列国の権益を保護する為め予の執りたる苦心の程を開陳せるに、彼等は我軍の公正なる態度に就き感謝の意を表せり。
 右の外十一月十日在上海AP、UP、ルーター、ハヴハス、其他各国の主要なる通信員と会見し、上記同様軍の方針と将来に於ける企図等に就き説明を与へ、特に左の要旨を述へたり。
 此次上海事件の発端は支那軍の江南方面に於ける排日行動に対し、列国ヵ日本と共同して一九三二年の停戦協定の維持に尽ささりしことに原因せり。
 然かも列国カ事変勃発後支那側に同情するの余り日支の抗争に対し中正なる態度も保持せす、中立的義務を実行せさりしことは甚だ遺憾とする所にして、其結果戦禍の及ふ所遂に官民も之を免れ能はさりしは巳むら得さる所なり。云々
 之に対しては各通信員は何人も敢て之に対し反駁的態度に出つる者のなく、之を肯認せるの風あるしを認めたり、

 附記

 是等の消息は当時通訳の任に当れる岡崎外務書記官の詳知する所なり。

 ※注・原文カタカナ


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