編者解説
栗屋憲太郎氏がワシントンにある国立公文書館で日本占領中の秘密文章の公開を閲覧し、極東国際軍事裁判(東京裁判)の被告がどのようにして選ばれたかを詳しく解説している。(「中央公論」昭和59(1984)年2月号)
それによると巣鴨に勾禁(こうきん)された約200名近いA級戦犯の中から、28被告を選ぶにあたって、各国の思惑や政治的配慮がからみ、いくたびか会議が重ねられ、だんだん人数がしぼられて行くプロセスが出ているが、当初松井石根(まついいわね)は軽く扱われ、ほとんど問題にされていなかった。
しかし、ナチス・ドイツを裁いたニュルンベルクでの国際軍事裁判所憲章(チャーター)をそのまま引き写し、「平和に対する罪」「人道に対する罪」で東京裁判の被告を処断することを決めて以後、ドイツのアウシュビッツのユダヤ人600万人の虐殺とういう事件に匹敵する人道的に許しがたい残虐事件が日本軍にあったかが問題になった。
もちろんそんなものは日本には無い。
そこで急に浮上してきたのが“南京事件”である。
従って松井大将が重視されることとなり、28被告の中に加えられるに至ったのだ。
(1) 松井自身、手記ではっきり述べているように、南京に“大虐殺”があったという噂を始めて耳にしたのは終戦後のことである。本稿の《検事取調》を見ても解るように、この段階では検察側も、南京事件に関する資料はほとんどつかんでおらず、まことに軽く扱われていることがわかる。
(2) A級戦犯28被告に対する起訴は昭和21(1946)年4月29日、天皇誕生日を期して行われた。
公判開始は5月3日であった。
起訴状は、3本の柱(類)と55項目にわたる訴因より成っている。
3本の柱とは
第1類 平和に対する罪(訴因第1〜第36)
第2類 殺人(訴因第37〜第52)
第3類 通例の戦争犯罪及び人道に対する罪(訴因第53〜第55)
である。
松井は、このぼう大な数十貢に及ぶ起訴状を詳細に検討した結果、自分に直接関係あるものは、「南京攻略」の事件のみであると言い切っている。
結局、判決(11人中6判事による多数判決)においても、松井は訴因第55項だけが有罪(絞首刑)で、大将が訴追された訴因は1〜17、19、25〜32、34〜36、51〜55であったが、55項を除くほかは全部無罪であった。
断罪された25被告のうち、ただの1項目だけが有罪他は全部無罪というのは、松井被告ただ1人であった。
(3) キーナン首席検事の冒頭陳述は6月4日(公判第9回)に行われた。
この陳述は英文4万字に及ぶぼう大なもので、「この裁判の原告は文明である」と大見得を切った。
これに対して松井は、幾世紀にわたり、アジア、アラブ、アフリカを侵略し、植民地化した西欧帝国主義の戦争と、われわれ日本が戦った日清・日露戦争はじめ大東亜戦争とは、同じ戦争といっても本質的に違う。
欧米の侵略戦争は「文明」に添った戦争で、日本の戦った戦争は「文明への反逆」であるとでも言うのか。「何が文明か」という強い反駁(はんばく)が大アジア主義としての松井にはあった。
「共同謀議」についても、「日本は主権君主国である。米国の習慣や方式をそのまま我が国に適用するのは誤りである」と言い切っている。
日本にはヒトラーのナチスのような独裁政権は無かった。
天皇も議会も健在であり、昭和3(1928)年から終戦(1945)までの17年間に、日本の政権は16回も交代している。
(4) 南京事件については、第4項の「南京虐殺・暴行に関する証言に対する抗議」と併読していただきたい。
キーナンは「無警告に南京を攻撃せり」と称して、松井軍司令官の降伏勧告文の散布と24時間の停戦猶予すら認めていない。
国際法の陸戦法規に違反する「便衣隊戦術」や「清野作戦」(焼き払い)に日本軍はいかに悩まされた、第3国人の権益や国際関係の錯綜(さくそう)する中で、日本軍は多くの犠牲を払いつついかに戦ったか、このような事態の中で、松井はその軍紀風紀の粛清と、国際問題にいかに心を砕き、苦心を払ったかがこの文章で理解できよう。
(5) 最後の「宣誓口述書」は前4項と重複する面が多いが、一言だけ付言するならば、このような松井の真実を吐露(とろ)しての自供も、また弁護人の数万言にも及ぶ理に添った証拠を提示しての最終弁論や弁護側証人の発言も、多数判決は一顧だにもせず、これらの発言を全く無視して、検察側証人のウソ八百のデタラメ証言のみを採用して、松井に極刑をかしたのである。
「南京大虐殺事件」はまさしく東京裁判において捏造(ねつぞう)された事件であると言われるゆえんである。
(6) 松井にかした極刑の理由は、軍司令官として「責任無視」の不作為があったとするもの(訴因第55項)であって「俘虜及び一般に対する違反行為の命令・受権・許可による戦争法規違反」(訴因第54)では無いとされている点、すなわち、言うところの「虐殺」は組織的、計画的な命令によるものではないと判決している点、当然のことながら銘記(めいき)すべきである。
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