編者注

  松井石根大将を語るにあたって「大亜細亜主義」を除外しては考えられない。
 大亜細亜協会は昭和八年四月に創立され、松井は近衛文磨、広田弘毅らと共に創立委員の一人に加わり、のちに同協会の会長に推戴されるのであるが、もとより松井は、前にも述べたように、陸大在学時代から、興亜理念に燃え、日中の提携↓アジアの復興↓団結↓大アジア連合の結成をめざして、その研鑚を積み、孫文、胡漢民はじめ中国にも多くの同志を得ていた。
 松井が軍職を退いてのち、それこそ全生命を燃焼して、一意貫徹の精神をもってひたぶるに取組んだ「大亜細亜主義」とは何か、いくつかの文献と、松井自身の筆になる松井の思想、信条なるものの一端を紹介したい。
 私自身、昭和八年から十六年まで「大亜細亜協会」に勤務していた。その創立趣意書は次のごとくである。

大亜細亜協会創立趣意書

 満洲事変を契機として、世界政治は今や劃期的なる変化と転向とを遂げやうとしてゐる。世界最新の国家としての満洲国の自立は既に大戦後の国際政治史に於ける一大驚異である。
然も独立満洲国の出現は、相踵いで生起せしめらるべき世界史的変化の僅かに序幕に過ぎぬ。東亜の自主が満洲の自立に次いで確立されねばならぬ。文明の母亜細亜の自由と光榮が王道新国家の建設に踵を接して再建されねばならぬ。
曾て満洲は欧人の世界征服に對する東亜最後の防塞であった。今や満洲はそれ自体一箇の国家として強化され統整せられた。全亜細亜の固結と再組織への工作が此の極東の新事態を前提として着手せられねばならぬ。

 惟ふに、亜細亜は、文化的にも、政治的にも、経済的にも、地理的にも、はた人種的にも明らかに一個の運命共同体である。亜細亜諸民族の真の平和と福祉と発展とは、一体としての亜細亜の自覚とその有機的結合の上にのみ可能である。亜細亜に國するもの相互の反目と抗争とは外来の干渉に對して好箇の機會を供するものであり、現に亜細亜の上に加へられつつある重圧を自ら加重する所以に外ならぬ。
而して亜細亜諸國相互の抗争の機會を杜渇し、外来の干渉と離間とを排絶するためには、現在分散分離の状態に在る亜細亜諸民族をして一個の聯合体にまで組織し統整するの努力が絶對に必要である。
加之、亜細亜の混沌と分離とはひとり亜細亜自らの不幸たるのみならず、それが常に欧羅巴または亜米利加の野心と貪婪とを刺戟するに於て、世界平和のための至大の障害であらねばならぬ。
東方の不安と動揺は、直ちに世界の不安と動揺である。亜細亜人の自律自疆による亜細亜の秩序化は實に世界政治を不動の根基の上に安定せしむる前提である。

三 

 然り而して、亜細亜の再建と秩序化の重責は、職として皇国日本の双肩にかかる。我等はかつて四半世紀前、国運を賭して露西亜帝国による東亜侵略の狂瀾を既倒に回し、全亜細亜覆没の運命を救ひ、よく有色諸民族擾頭の気運を醸成し得た。今や満洲事変を契機として人類史は復た一大転換の潮頭に臨んで居る。
皇国日本はよろしく日露戦争の世界史的意義を拡充し、その一切の文化力、政治力、経済力、組織力を傾倒して、亜細亜の再建と統一に向って進一歩を劃すべき時である。
蓋し、亜細亜諸民族の自彊と固結の指導者として欧正巳偏局の現国際機構を改善し、人種平等資源衡平の原則の上に新世界秩序を創建することこそ、我が建国の理想を恢弘し皇道を四海に扶植するの一路である。「大亜細亜聯合」の結成は、今日の日本国民が当面する歴史的任務である。

 大亜細亜聯合の結成は、今日の国際政治の進化過程より見るも極めて自然の途である。地域的、文化的若くは人種的類縁によりて諸国民が一個の政治的並びに経済的聯合体を組織せんとする事は人類社會の必然の行程である。
民族国家より世界国家に飛躍することは不自然であり不可能である。
偶々欧洲大戦なる異常なる機會に於て、歴史的要因の成熟を待たず早期に出現したる汎世界聯合としての国際聯盟が、汎大陸主義乃至汎民族主義によりてその原則的修正を受くることは、蓋し当然の帰結でなければならぬ。
その加盟諸国の誠意ある努力にも拘はらず、国際紛争の解決と民族闘争の緩和に国際聯盟が殆ど無力にして紛争解決の努力が却って紛争を激成しつつあるの憾を免れざる所以のものは、上述の如き国際政治必然の進化過程を無視して観念的世界主義の上に立脚する国際聯盟の本質的缺陥に出づるものである。今明日の国際政治並びに国際経済は、恐らく欧羅巴聯合、亜細亜聯合、亜米利
加聯合、サヴエート聯合或はアングロサクソン聯合等の汎大陸的乃至汎民族的諸集団の対立と協力の交錯によりて運躊せらるべき動向に在り、新なる世界平和の機構は、正に斯くの如き諸集團並立の態勢を基調として樹立せられざるべからざるを知るのである。
かくて、大亜細亜聯合の結成は、今日の亜細亜聯合にとりて必要なるのみならず、眞箇の世界平和確保の上にも最善且つ絶對の途である。吾人が茲に相圖って大亜細亜協會を創立し、亜細諸国に於ける文
化、政治、経済、諸事情の調査研究・皇国と亜細亜諸国との親和誘掖関係の噌進・之等の諸国に對する皇国文化の紹介普及等の努力を通じて、やがて全亜細亜諸民族を打って一丸とする亜細亜聯盟の實現に向って拮据せんとする所以のものも、亦實に此の途が人類文化の進運に貢献し世界平和を確保する最善絶對の途なることを確信するが故に外ならぬ。
大方の識者諸賢の御賛同と御協力を賜はるを得ば幸甚である。
昭和八年三月一日                        大亜細亜協會創立委員

創立委員の顔ぶれは次の通りである。

近衛文麿 広田弘毅 松井石根 矢野仁一
菊池武夫 村川堅固 小笠原長生 徳富猪一郎
末次信正 藤村義朗 鹿子木員信 加藤敬三郎
白鳥敏夫 坪上貞二 根岸 佶 白石龍平
戸塚道太郎 山脇正隆 野波静雄 平泉 澄
下中弥三郎 角岡知良 本間雅晴 酒井武雄
内藤智秀 樋口季一郎 鈴木貞一 太田耕造
満川亀太郎 石川信吾 柴山兼四郎 筒井 潔
半田敏治 宇治田直義 清水薫三 今田新太郎
今岡十一郎 中山 優 中平 亮 中谷武世

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