興亜観音とわが家

世界平和とアジア発展のため末永くお護りしたい

興亜観音奉賛会役員 前・熱海市長 内田 滋

内田 滋氏 本堂内にまつられている観音像など

 熱海市伊豆山の太平洋を遥かに見はらす絶景の山腹にある興亜観音は、松井大将のご発願になるもので、日中の恩讐を越えた彼我の戦死者の霊をお祭りし、平和を願う観音様です。
 その創建当時から、祖父の内田市郎左ヱ門、父の同勇次、私と親子三代にわたり、いろいろのご縁がありました。
 わが家では熱海温泉で生え抜きの老舗古屋旅館を代々経営させておりますが、屋敷内に天満宮をお祭りしており、伝統的に信仰心の厚い家柄であります。
 古来より個人で大きな天満宮をお祭りしているのは大変珍しいとのことであります。
 祖父の晩年は信仰生活に明け暮れ、熱海から日帰りのできる範囲の神社仏閣を毎日計画的に参拝していました。
 小田原の大雄山道了尊の御真筆が我が家から発見された時は、何百人の僧侶が本山へのお迎えに来られ、空前の大儀式が行われた由で、家族一同一入の感激だったと思います。
 その後祖母は道了講の先達をしていたと聞いております。

祖父、父と興亜観音とのご縁

 祖父はまた、興亜観音が建てられたのを知り、毎月毎回となく熱心に参拝された。
 当時の忍礼師夫妻が終戦直後の食料事情の悪かった時、たまたまご夫妻で病臥(びょうが)せられ、お困りの姿を、お参りに行った祖父が知り、すぐに取って返し、食べ物やお薬をお届けしたそうで、本当に有り難かったと忍礼夫人より承ったことがあります。
 父は、熱海住人としては珍しく中央政財界の重鎮や軍人との親交があり、神仏への信仰も厚く、長い間氏神様やお寺の総代長をつとめていました。
 興亜観音の初代の奉賛会会長は高木陸郎氏だったと思いますが、父もすぐに高木会長のもとに馳せ参じて、いろいろお手伝いしたと聞いております。
 七士之碑の除幕式に連台に乗せられて参詣した吉田茂・元総理と一緒にうつっている写真も尊い記念の1つであります。
 戦後過激派が「七士之碑」を爆破した事件の時も、奉賛会責任者として警察の調査に協力、現場説明等大層な活躍をしたようです。

翌朝届けられた松井大将の色紙

 松井石根大将が極東国際軍事裁判に出廷の為、熱海を離れる前日、お世話になった方々と夕食会を開かれ、参加者に1枚ずつお礼を兼ねた「別離の書」を用意されていましたが、1枚足らず、大変困られたご様子に、父は「私はお心だけで結構です。どうぞそちらへお回し下さい」と申し上げたところ、大将は大変お喜びになられ無事閉会をした由。
 ところが翌日の朝お使いが見えられ「松井大将がこれを内田様にお届けする様に」とのこと。聞いてみれば正に大将の揮毫(きごう)で、その日東京裁判に出廷されるというお忙しさの中で、恐らく前夜夕食会から帰られてからお書きになったものでしょう。
 ここまで気を使われる大将のお気持ちには父は涙が止らなかったというエピソードもございます。

伊丹一家の涙ぐましいご奉仕に感動

 私は父の使いや、代参等で興亜観音には良く出向きました。父は松井大将の意を良く体し「世界平和のため彼我の礼を祭る」と口ぐせの様に言っており、私もこれが日本精神の真髄であると思っておりました。
 私の市長在職は3期12年でありましたが、興亜観音とは祖父以来のご縁があり、また父の無きあと奉賛会の一員にもなりましたので、できる限りのご協力は惜しまずやってまいりました。
 興亜観音の守る会の創立趣意書にあるように「今日なお滔々(とうとう)たる我が国の敗戦後遺症治療のための一拠点になる事を心から願うものであります」と、まさに私達の心も同じであります。
 今日までの観音護持につきましては今は亡き伊丹忍礼師と令夫人のなみなみならぬ御勤めとご努力があり、また現在は妙徳尼、妙b尼、妙浄尼の三姉妹があとをつがれ、身も心も観音様に捧げた涙ぐましい努力があります。
 守る会の皆様、是非心を合わせ力を合わせられ信者の中心となられ願望成就へのお力を願ってやみません。

興亜観音護符は私たちの使命
興亜観音から望む熱海市

 戦後の教育が一部の人によりゆがめられて日本の弱体化が進められ、また一部マスコミ等の偏向報道もあり、その教育や偏向の影響を受けた一部の人達が、今第一線の活躍者にもなっていることもあってか、日本精神の危機と同時に興亜観音護持が、非常に困難な状況下におかれている今日、私どもは興亜観音精神が世界平和とアジア発展を願う真に正しいことであると信じ、その逆境の中にあってこそ最後までお守りして行こうと固い決意に燃えております。
 興亜観音は、急峻(きゅうしゅん)な山腹にあり、地盤も悪く、雨にも風にも、その都度何かと被害があり、修復には相当んば費用がかかります。九十九折の参道は痛み易く、歩きにくいので参拝に大きな支障を来しておりましたが、有り難いことに地元にも熱心な信者がおられ、参道の舗装や石垣の補修工事などを御寄進下されました。
 庫裏の老朽化等も今までしばしば問題になり、奉賛会では鳩首協議しながら、何とか修復し、水道、電気も改善を進めて参りました。こうした中、興亜観音を守る会が発足されました事は失いかけている日本精神復興の為、誠に有り難いことで、まさしく天佑(てんゆう)神助の賜(たまもの)と感謝申し上げております。
 最近は会員の呼びかけをして下さいましたので、参拝者も大変多くなり、更に今年は終戦50周年に当たる為でしょうか、あちこちから慰霊、ご供養のお話があります。また、たくさんのご奉賛だけではなく、今まで大変危険の為、手をつけるのが難題であった庫裏の上の楠の大木を伐採していただいたり、電気、水道、配線等の維持管理にもお力を賜り、誠に感謝にたえません。

御参拝の方々の安全を十分に

 ご参詣の方々の安全第一に今後の運営は如何にしたらよいか、年間行事等はどうしたらよいか等の検討も進めさせていただくとともに、露仏保護や崩れやすい興亜観音の崖裏付近の対策処置などにも力を尽くしてゆかなければと思っております。
 今後、興亜観音の護持運営につきまして、色々とお世話になることと存じます。
 どうぞよろしくお願い申し上げます。


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