興亜観音に思ふ
日本の固有性の復興を願ひつつ

青山秀山氏

酒井秀山


 昭和47年春、自衛隊板妻駐屯地に第6代連隊長として着任したとき、熱海に居られた故松井石根大将の奥様にご挨拶に参上したのが、興亜観音とのご縁でありました。
 板妻では、歴代の連隊長が大将の遺品を逐次整理され駐屯地資料館に展示致して居りました。
 奥様が亡くなられる数日前、御見舞に伺った時、遺品を板妻に寄贈したいといふお話がありました。
 この時の書類の中に私の名前があったことが、同期の徳富君(蘇峰先生の孫・幼年校入校時の保証人が松井大将)と再会し、「興亜観音を守る会」に参加する機縁となりました。
 更に、会長の田中正明先生は、私が在職中軍事について親しく教えを受けてゐた故常岡瀧雄先生(陸士33期)の、支那事変当戦いぶりを書いた「聖戦」の著者であり、随分昔からお名前をお聞きして居りました。
 復員以来、故安谷白雲老師に師事参弾して居りました関係で、伝統的日本的文化である禅を生涯おの歩みとしたい気持ちから、平成元年曹洞寺(道元禅師・本山・・・・・永平寺、総持寺)の得度を受け、4年後、住職としての資格を得て公の活動を許されることになりました。
 禅の内容を一言で申せば、仏(生きたありのままの人間)を自覚するにあります。その内容を更に一言で申せば、対立のない「和」そのものの世界の体現に外なりません。 
 安谷老師からうかがった中に、魚の網の例へ話があります。
 網の目(個)はたしかに存在するですが、網の目1つを取り出すことは出来ません。
 反面、網の目を無視すれば、網そのもの(全体)に穴があくことにもなります。
 「和」といふものは、個が集まって全体を形成し、個々全体の調和をはかることではなく個と全体は、表面別々に見えても一体的存在であり、境界はもともと無かった(和合)といふことになりませう。
 天子様を中心とした、この様な一体和合の国が本来の日本(大和の国)であります。
 われわれは、普通頭で考へる時、必ず自分と他人といふように、物事を二つ以上に分析し総合して認識しようと致します。そして自分に有利に結論するため、自己中心・我・迷い・・・・を生ずるのであります。
 しかし、人間は自分と他人を意識しつつ、その境界を取り払って、他人の事は自分のこととして思へる心(精神)の働きがあります。
 この頭の働きと心を豊かにし強くする、人格形成に向かはせる方法が、座禅を始めとする修行であります。
 明治の文・武に携わる人々は、この様な人格完成を、多く古典に親しむことによって育んで参りました。
 松井大将が、日支両軍の英霊を境界なくともに慰霊された精神も、ここにあると理解します。
 この「和」をはじめ、日本人のすぐれた歴史伝統は、誤れる東京裁判によって歪められました。
 戦争経験のある者が生きてゐる間に、下降の一途を辿ってゐる国連を上向きにしなければ・・・・と痛感致します。
 是非、伊豆山の興亜観音の温容に接し、殉国殉離された諸英霊に詣でられここに鎮まる日本の精神を後に続く者にお伝えいただき度、伏して願ふものであります。(興亜観音を守る会理事)


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