興亜観音を考える
興亜観音を守る会理事 徳冨太三郎

本堂内にまつられて
いる観音像

 興亜観音は、宗教法人ではあるが、その存在の意義は次の三点にあると考えられる。

 第一、戦死者(刑死者も含む)の鎮魂。
 第二、いわゆる「南京大虐殺」の雪冤(せつえん)。
 第三、東京裁判史観の是正。

 第一について。
 そもそも松井大将が、この観音堂を建立された本来の目的は、敵味方、勝者、敗者の区別無く、その霊の供養を続けることにあった。この為に松井大将は「興亜観音に対しては現在の奉賛会のほかに、内外有志に諮(はか)りて1講社を設立し、永久に供養に弁ぜしむる事を希望す。なし得れば一切を熱海市に寄付し、将来の保全を安全ならしむる事を望む。但しその名称は、飽く迄も興亜観音と呼称すべし」と。
 処刑の2日前(昭和23年12月21日)その様遺言にしたためておられる。
 第二について。
 東京裁判で戦勝国側は、日本の指導者達ドイツ・ナチス党がユダヤ民族抹殺を企画した悪行に匹敵することを南京において行ったとする架空の虚構をねつ造した。
 所謂(いわゆる)「南京大虐殺」の告発である。我々は真実をこそ尊ぶ。明かな歴史の歪曲(わいきょく)は断じて訂正されなければならない。「やりもしない“南京大虐殺”云々(うんぬん)で処刑されたのでは、死んでも死にきれない」と、松井大将は、巣鴨に入れられる前夜、故有末中将に話しておられる。
 我々はいわゆる“南京大虐殺”が戦勝国の捏造(ねつぞう)した虚構である事を子々孫々に言い伝え、語り継ぎ日本国民族のすべての誇りを回復しなければならぬ。
 これはひとり松井大将のみのことではないのである。意義は真に大きいと言わねばならない。
 第三について、松井大将が唱えておられた「大亜細亜主義」とは、簡単に言えば次の様なものである。
 世界平和を実現させる為には、現在(当時)の各国がそのままの姿で、国際的組織(国際連合等)を作っても有効に機能しない。その前段階として、アジアはアジア、ヨーロッパはヨーロッパで米洲諸国は米洲諸国で更にアフリカはアフリカでそれぞれを政治的、経済的、文化的、軍事的に安定させた上で各連合が協力して世界平和を実現させようという考え方である。
 この為には先ず白人勢力がアジア、アフリカから手を引かなければならない。また、アジア、アフリカ諸国が、それぞれ立派に自立し、成熟しなければならない。
 この「大亜細亜主義」は松井大将だけではなく、当時のわが国の指導者の考え方でもあった。この考え方は、基本的には正しいものではあったが、ただ余りにも白人勢力による妨害がはげしかったこと、アジア各国が未だ本来の独立を果たせず、未成熟であったこと、またわが国の構想も未成熟な部分が多かったことなどの理由によりついに挫折した。
 この考え方を否定し、自ら犯した巨悪を隠ぺいし、我が国を一方的に断罪した東京裁判が、神をも恐れぬ詭弁であることは明白である。
 今や世界は大筋で見れば半世紀前大亜細亜主義者の主張に近い状態に動きつつある様に見受けられる。東京裁判で超国家主義としてその人を断罪したがその主張を彼等は臆面も無く取り入れているように見える。
 アングロサクソンの考える事は常に不可解である。
 東京裁判史観を是正することは、歴史を正しく認識し、わが民族が誇りを持って世界平和の為、大東亜主義を、新しい形で再生、発展させることに外ならないと信じる。
 東京裁判で刑死された殉国七士のご遺骨が葬られている興亜観音は、東京裁判史観是正のための象徴的存在である。


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