中ソ共産主義国家の支援を受けて独立したアフリカの悲惨

 こうしたアジアの発展は何故実現し得たのかを考える時、重要なのは同じく戦後になって欧州植民地から独立したアフリカとの違いである。
 かつては停滞するアジア、暗黒大陸のアフリカと並称されてきた。
 ところが今日アジアは発展し、アフリカ諸国は貧困にあえぎ続けている。
 一体何がこの両者の違いを生み出したのか。
 その原因は両者の歴史的条件の違いに求めざるを得ない。
 アジアもアフリカもそのほとんどが欧米の植民地支配下に置かれていた。
 しかし、その国々が戦後独立する過程において決定的な差が生じている。
 アジアとりわけ東南アジア諸国はソ連、中共の共産主義国家の援助を受けることによって欧米諸国から独立を獲得したからである。
 現在、アフリカ全体の独立国は53ヵ国であるが、戦前からの独立国は南アフリカ、エジプト、エチオピア、リベリアの4ヵ国に過ぎず、戦後独立を果たした国々は49ヵ国である。
 内訳をみると、

旧フランス植民地 ・・・ 21ヵ国 旧イギリス植民地 ・・・ 16ヵ国 旧ポルトガル植民地 ・・・ 5ヵ国
旧ベルギー植民地 ・・・ 3ヵ国 旧スペイン植民地 ・・・ 2ヵ国 旧イタリア植民地 ・・・ 1ヵ国
国連信託統治(実際には南アフリカ共和国が統治) ・・・ 1ヵ国

 そのうち現在なお社会主義政権下にある国は、コンゴ、アンゴラなど10ヵ国、また社会主義ないし共産主義政権が樹立されたことがある国は、モザンビーク、ソマリア、エチオピアなど12ヵ国に達している。
 即ちアフリカ諸国は社会主義、共産主義の経済政策によって経済の停滞を余儀なくされ、かつ社会主義・共産主義革命による国内動乱、また革命・反革命勢力の衝突が長きにわたって相続き、国内経済を疲弊させてしまったのである。
 前述した国以外においても隣接する国から社会主義・共産革命の脅威がもたらされ、国内政治が不安定になり、経済発展に専念するエネルギーを奪われた。
 新聞・テレビで報道されるソマリア、アンゴラ、モザンビーク等の国内状況の悲惨さは目を覆うものがあるが、それらの背景に、社会主義・共産主義の影響がある。
 例えばソマリアはソ連によって軍事援助1億2百万ドル、経済援助1千2百万ドルを受け、ソ連軍事顧問団1000人が投入されたことによって欧州からの独立戦争、その後の国家維持がなされた。
 そのことが今日内紛が絶え間なく続く原因となっている。次にかかげる一覧表のごとく、ソ連及び中国共によって軍事援助・経済援助・軍事顧問団の投入を受けた国々は、明らかになっているだけでも23ヵ国を数える。

[中ソ両国のアフリカへの関与]
(1)ソ連の軍事・経済援助(昭和51<1976>年段階での判明文)

エジプト 軍事援助13億ドル 経済援助13億5千5百万ドル 軍事顧問200人
アルジェリア 軍事援助8千9百万ドル 経済援助1億7千5百万ドル 軍事顧問1600人
ギニア 軍事援助3千9百万ドル 経済援助9千4百万ドル 軍事顧問250人
リビア 軍事援助3億6千3百万ドル 経済援助5千万ドル 軍事顧問300人
マリ 軍事援助1千2百万ドル 経済援助1千万ドル 軍事顧問33人
ナイジェリア 軍事援助3千9百万ドル 経済援助6百万ドル 軍事顧問150人
ウガンダ 軍事援助4千8百万ドル 経済援助1千2百万ドル 軍事顧問300人
ソマリア 軍事援助1億3千2百万ドル 経済援助3千2百万ドル 軍事顧問1000人
アンゴラ 軍事援助1億8百万ドル 軍事顧問170人
モザンビーク 軍事援助1千2百万ドル
ガーナ、モロッコ、スーダン、タンザニアは金額規模不明ながら確実とされている。

(2)中国の軍事・経済援助(昭和51<1976>年段階での判明)

ギニア 経済援助2千5百万ドル
ガーナ 経済援助4千7百40万ドル
中央アフリカ 経済援助4百万ドル
ケニア 経済援助1千8百ドル
タンザニア 経済援助4億4千5百50万ドル
コンゴ 経済援助2千5百万ドル
アルジェリア、ウガンダ、タンザニア3国に累計3億5千万ドルの経済援助
※梅津和郎「アフリカ現代史」及び坂本直道「アフリカ 中ソの政治攻勢と経済援助」に基づき作成

 ソ連・中共はアフリカの植民地解放の戦いを援助することによって社会主義・共産主義政権を樹立しようとした。
 ここにアフリカの国家独立の戦いの決定的性格がある。
 そしてこのことがアフリカの経済を停滞させるのもならず、難民を流出させ、飢餓に苦しみ、毎日多くの人々が亡くなっている現状を生み出してしまったのである。


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