主に反日写真、南京事件に使用される
ニセ写真についての分析

  昭和12(1937)年7月7日の盧溝橋事件に始まり、同年8月13日に開始された第二次上海事変から南京攻略戦に大敗した中国。
 劣勢に立たされた中国側は欧米からの干渉を引き出す事を目的に、中国はデマ宣伝を開始しました。
 
  そのために日本を悪魔化し、中国人は被害者とに仕立てる為に、デマをラジオで流し、残虐・合成・エロ写真などをねつ造し欧米へと宣伝を行いました。
  その一部の写真は今でも中国共産党は愛国教育を行う、歴史紀念館(※中国の抗日紀念館)に展示し、日本を悪魔化し続けているのです。
  このため、これらニセ写真に対する真実をここに発表したいと思います。


 【1】 当時の中国では、道端でエロ写真や残虐写真が普通に売られており、日本兵に土産として売られていた

 1927(昭和2)年に東大を卒業し、逓信省(ていしんしょう)(現在では総務省に統合されたが、一昔前の郵政省のこと)に入省し、日中戦争勃発に際して1937(昭和12)年に上海派遣軍野戦郵便長として従軍した佐々木元勝著『野戦郵便旗』(現代史出版会)に以下の記述があるので引用する。
 同じように当時の満州におけるエロ写真が売られていた状況を掲載している書籍がある。下川耿史著『日本エロ写真史』(青弓社)に以下の記述があるので引用してみる。

【2】 当時の満州には、馬賊や匪賊が跋扈(ばっこ)しており村や町を襲っており、彼らは捕らえられた後、斬首され首を晒され、それを撮影した写真が現在、日本軍のせいにされている

 



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